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貞享5年、1688年(元禄元年)出版された因幡民談記の当国郡郷土産物之事の中に久能寺焼として記載されています、今から三百二十年前には陶器を産出していました。
因久山の名は窯の所在地である因幡国久能寺にちなみ、藩主から下賜されたものです、代々御用窯として保護されてきました。
その後、信楽焼の技法も伝えられ、京焼と信楽焼の技法が混じり合い独特の風雅さと土味のある作風が形成されました。
当家(芦澤家)では江戸時代から続いている7室の登り窯が健在です。
鉄分を多く含む地元の土と藁灰釉(わらばいゆう)や緑釉(りょくゆう)、海鼠釉(なまこゆう)、辰砂(しんしゃ)などさまざまな釉薬を用いた素朴かつ格調高い焼き物は、多くの方にご愛好いただいています。
http://inkyuuzan.ftw.jp/u11417.html
久能寺焼(因久山焼)とは貞亨五年、1688、(元禄元年)に出版された鳥取藩医師、小泉友賢著、稲場民談記の当国郡郷土産物之事の中に久能寺焼(因久山焼)が記載されている、今から(平成十九年)三百二十年前に陶器を産出していた。
寛政七年(1795)鳥取藩医師、安部恭庵著、因幡誌記載によると『久能寺焼 因幡国八上郡久能寺村にて、陶器を作りしは、何時よりの事なるか詳ならず。』
「当所楽焼土あり色赤白なり。往古は、久能寺焼とて、当国の名産なりし。」とあります。
因久山焼の年表
■享保七年(一七二二)
七月二十七日 釋秋岸信士 芦澤家初代なれど俗名不明歿。
■享保十八年(一七三三)
九月八日 釋浄光信士 芦澤家二代なれど俗名不明歿。
■明和元年(一七六四)
久能寺焼を因久山焼と命名する。
初代文五郎、二代亀五郎が新たに御室焼因久山焼を興こす。
■安永六年(一七七七)
鳥取藩御西館、五代定常侯(冠山)家督を継ぎ、因久山焼を寵愛する。
三代與兵衛(士族田渕十之進の二男)鳥取市行徳に出生。
■天明三年(一七八三)
六代治道侯、十六才で藩主となり、同じく因久山焼を愛用する。
■天明五年(一七八五)
鳥取藩御東館、七代仲雅侯、家督を継ぐ。仲雅侯、因久山焼茶碗に花押を刻む。
(陶器大辯典壱巻に記録)
三代與兵衛、寛政年間、久能寺村芦澤家の養子となる。
■寛政七年(一七九五)
因久山焼みやげ国産座となり、御国産御手懸として、役人北村三之丞を監督に移す。
藩外より陶工を迎え、製造せしめられる。勘蔵(杉本系初代)信楽焼より来る。
■寛政九年
丁己九月四日 釋智暁童子 施主六兵衛。
■寛政十年(一七九八)
藩主治道侯歿。三十一才。
■享和元年(一八〇一)
定常侯隠居。
■文化元年(一八〇四)
九月 加茂大明神奉納陶額 焼物師願主 與兵衛二十七才。
■文化二年(一八〇五)
三月二十四日 七代藩主 斉邦侯因久山焼窯元に御出あり。製陶作業を委細に御覧あり。
四代五兵衛 出生。
■文化三年(一八〇六)
四月二十四日 斉邦侯、再度因久山焼窯元に御出あり。製陶作業を御覧あり。藩主より大いに奨励せられたり。
■文化八年(一八一一)
二月十七日 初代文五郎歿。
四月三日 二代亀五郎歿。五十九才。
■文政七年(一八二四)
東館 仲雅侯隠居。攝津守。
東館八代仲津侯家督を継ぐ。
■文政八年(一八二五)
因久山焼御手掛りを止め、民間経営に移る。
■天保八年(一八三七)
七月二十九日 二代妻林歿。八十三才。
■天保九年(一八三八)
三代與兵衛歿。六十一才。
■天保十二年(一八四一)
與平 出生。
■嘉永元年(一八四八)
嘉永の初天神原(河原町)の砥土を用ひて白色陶器を案出した。
■嘉永三年(一八五〇)
慶徳侯 十二代藩主となる。
■嘉永五年(一八五二)
因久山焼、再び御用品以外、国産座となる。
因久山焼窯出し、年間二十二回位。代銀拾貫五百目位。
御城、江戸御用品製造方、仰せ付らる。
五兵衛 四十七才。 與平 十一才。
■嘉永六年(一八五三)
御用品以外は、相対売買。
治郎ヱ門歿(尾崎系初代)。
■安政二年(一八五五)
五兵衛、焼物師頭取を命ぜられる。五兵衛、藩主より煙管吸口の加押を許される。
御用品は、同所の焼物師一同に命ぜられる。
■安政三年(一八五六)
十月二十一日 三代妻岩歿。七十七才。
十月 売捌頭取 川端四丁目虎屋治三郎 立川一丁目八百屋周次郎
他国陶器商人の来りて、売買するを禁ず。因幡における他所仕入れを差止める。
■安政五年(一八五八)
九月 伯耆にも、因幡同様、布達し、輸入を堅く停める。
■万延元年(一八六〇)
八月 御茶碗類は頭取一人にのみ命ぜられる。御進物用品類は、焼物師一同よりせしめ出来の上、頭取より納入せしむる事となせり。
湯呑八万個製造。
他所より入津の際は、すべて国産座の改を承けて、揚陸よきものとす。密輸入は、厳に戒められ、違反せる現品は、押収し、国産座にて処分したりき。
■文久二年(一八六一)
九月十二日 十二代藩主慶徳侯、因久山に御出有り、製陶作業を委細に御覧あり、藩主より大いに奨励せられたり。
■元治元年(一八六四)
八月 国産座縮小に当り、因久山焼手懸止めとなり、民業となれり。
五兵衛 五十九才。 與平 二十三才。
累鼓茶入(江戸時代)
焼締水指(七代保親作)
■明治二年(一八六九)
六代梅蔵出生。
■明治四年(一八七一)
鑑札制度実施、陶物師鑑札與平。石井弥市郎十三才、弟子入り。
六月二十九日 四代五兵衛歿。六十七才。
■明治六年(一八七三)
七代保親出生。
■明治七年(一八七四)
三月六日 五代與平歿。三十三才。
三月十六日 梅蔵、五才にて戸主となる。
■明治十年(一八七七)
慶徳侯歿。
■明治十四年(一八八一)
十二月二十八日 保親、久能小学第五級卒業。
■明治十五年(一八八二)
保親、鳥取市吉方町川口清次郎方へ養子入り。
■明治二十二年(一八八九)
十二月一日 六代梅蔵、近衛歩兵第一聨隊第一大隊第三中隊に入隊する。現役年期三ヵ年。
當分梅蔵留守中に付、保親帰宅す。
■明治二十四年(一八九一)
八月二日 四代妻きぬ歿。八十三才。
■明治二十五年(一八九二)
五月十一日 梅蔵、連合共進会入賞。農商務大臣、正三位勲二等、河野敏鎌。
十月三十日 近衛兵除隊。
十一月二日 六代梅蔵歿。二十四才。
■明治二十六年(一八九三)
六月 七代保親、姫路大隊より徴兵書が来るが、陶器業因久山焼を営む為、徴兵延期願書を提出、条件付で認められる。(明治二十六年より二十九年まで毎年兵役検査を受けること。)
■明治三十年(一八九七)
尾崎系分裂、脇窯を築き瓢箪印を使用する。
■明治四十三年(一九一〇)
十月一日 侯爵池田仲博侯より、自製陶器に角輪の印を捺印する事を承諾せらる。
■明治四十五年(一九一二)
六月五日 七代保親、全国特産品博覧会褒賞状。名誉総裁、伯爵、大隈重信。
■大正元年(一九一二)
十月十八日 七代保親、中国六県生産品共進会一等入賞。
■大正十四年(一九二五)
二月二十七日 五代妻とみ歿。八十一才。
■昭和七年(一九三二)
八代保親(藤吉)二十五才で養子入り。
四月二十日 七代保親、商工省工芸展覧会入選(円型無紋花瓶)。
■昭和八年(一九三三)
陶工石井弥市郎歿。七十五才。
■昭和十年(一九三五)
八代保親、長男挙良出生。
■昭和十四年(一九三九)
八代保親、二男良憲出生。
■昭和十八年(一九四三)
九月十日 鳥取大震災にて登窯全壊するが同年に従来通り七室の登窯に復元する。
■昭和二十一年(一九四六)
七月五日 七代妻いし歿。七十才。
■昭和三十年(一九五五)
二月二十二日 七代保親歿。八十三才。
■昭和三十五年(一九六〇)
挙良歿。二十六才。
■昭和四十年(一九六五)
五月 天皇陛下、御来鳥の折、八代保親作、抹茶茶碗二点、天覧。
■昭和四十一年(一九六六)
九代良憲の長男保憲出生。
■昭和四十八年(一九七三)
八月二十八日 茶道香道志野流家元、松隠軒十九世蜂谷幽求斉宗匠、因久山に再度来窯。抹茶茶碗外茶道具に染付有り。
■昭和五十年(一九七五)
五月八日 八代妻都歿。六十五才。
■昭和五十八年(一九八三)
五月二十六日 八代保親歿。七十七才。
■昭和六十年(一九八五)
十月十九日 天皇陛下、御来鳥の際、仁風閣にて九代作抹茶茶一点、水指一点を天覧。
十月二十二日 高円宮様へ、九代作藁灰釉抹茶茶献上。
■昭和六十一年(一九八六)
二月二十七日 九代芦澤良憲、鳥取県伝統工芸士に認定される。
九代、芦澤良憲に鑑定、並びにメモ手書きのサインをして頂きました本物です。
(参考文献)鳥取藩史、鳥取県郷土史、窯元歴代之古文書